お師匠さんの踊りの師匠は、最初が藤間藤子師、のちに西川鯉三郎師。
それからもう一人、家庭教師のような存在として坂東八重之助師。
八重之助さんは女形でしたがとんぼが好きで、隠れて稽古していたところを六代目菊五郎に認められ、劇団の立て師として活躍されました。
とんぼの指導や新しい立ての工夫、また、立ての型を絵に起こして記録に残し、
立て師として初の人間国宝に指定された方です。
写真は、清元の「子守」。
まだ十代前半のお師匠さんの後見を八重之助さんが務めています。
清元初栄太夫と、二人の師匠に見守られての舞台です。
さて、この八重之助さんのお稽古、なかなか終わらないお稽古だったそうで、何べんでも「はい、最初から」と繰り返す。
夏ならショートパンツにランニングシャツという菊五郎劇団通りの、(六代目の薫陶を受けた方ならみんな、藤間流家元の先代尾上松緑さんも、西川鯉三郎師も同じように裸で教わったのだそうです)
骨格から厳しく教え込む伝統に則った稽古スタイルです。
同じところを繰り返し繰り返しの稽古で、とうとう、八重之助さんの家のネダを踏み抜いてしまった。
あれは、
「三社祭」と「まかしょ」の稽古だった、と。
10年ほど前、国立大劇場にて、
「橋弁慶」でのお師匠さんの長刀の扱いには惚れ惚れしましたが、
こりゃ、やはりネダを踏み抜くほどの稽古なくしてこうはなるまい、と思ったもの。
ところで、お師匠さん、お稽古中に「やや、ね。」って口癖みたいに仰いますが、もとは八重之助さんの口癖らしいです。
「まあまあできた」なのか、「少しはわかったらしい」なのか、微妙なところ。
タマ
それからもう一人、家庭教師のような存在として坂東八重之助師。
八重之助さんは女形でしたがとんぼが好きで、隠れて稽古していたところを六代目菊五郎に認められ、劇団の立て師として活躍されました。
とんぼの指導や新しい立ての工夫、また、立ての型を絵に起こして記録に残し、
立て師として初の人間国宝に指定された方です。
写真は、清元の「子守」。
まだ十代前半のお師匠さんの後見を八重之助さんが務めています。
清元初栄太夫と、二人の師匠に見守られての舞台です。
さて、この八重之助さんのお稽古、なかなか終わらないお稽古だったそうで、何べんでも「はい、最初から」と繰り返す。
夏ならショートパンツにランニングシャツという菊五郎劇団通りの、(六代目の薫陶を受けた方ならみんな、藤間流家元の先代尾上松緑さんも、西川鯉三郎師も同じように裸で教わったのだそうです)
骨格から厳しく教え込む伝統に則った稽古スタイルです。
同じところを繰り返し繰り返しの稽古で、とうとう、八重之助さんの家のネダを踏み抜いてしまった。
あれは、
「三社祭」と「まかしょ」の稽古だった、と。
10年ほど前、国立大劇場にて、
「橋弁慶」でのお師匠さんの長刀の扱いには惚れ惚れしましたが、
こりゃ、やはりネダを踏み抜くほどの稽古なくしてこうはなるまい、と思ったもの。
ところで、お師匠さん、お稽古中に「やや、ね。」って口癖みたいに仰いますが、もとは八重之助さんの口癖らしいです。
「まあまあできた」なのか、「少しはわかったらしい」なのか、微妙なところ。
タマ
コメント
コメント一覧 (2)
とっても素敵なお話とお写真で感動しました。
お師匠さんの素晴らしさを再確認いたしました。
「やや、ね」は私も耳にしたことがあります。
どんな時におっしゃっていたのかは思い出せませんでしたが。笑
お師匠さんは本当に素敵な方です〜。しみじみ。
コメントありがとうございます。
時間に余裕があるときにお師匠さんのお宝?映像等を出していきますね。
お楽しみに。