お師匠さんのお師匠さん、
西川鯉三郎師の振付けは、二、三分の短い小唄振りであっても、お芝居の一場面みたいに人物がくっきり描かれている。
だから、見るのは楽しいけれど…踊るのは難しい。[西川春喜久師「春霞ひくや」]
小唄で踊るときは役の扮装をするわけではないので、
例えば、助六の踊りなら歌舞伎の型を再現できないと何の踊りだかわからない。
お稽古では、ひとつひとつの振り付けの意味を知って、正確に組み立てる。
「水差し」であれば茶筅を振る親指と人差し指の幅やお茶碗に添えた手の形ひとつで本当にも嘘にも見える。[西川春喜久師「鶴次郎」]
「鶴次郎」なら三味線の扱い、
「辰巳の左褄」では盃を持つ形と相手との距離が大事。
盃で呑む仕草が茶碗酒に見えてはいけないし、相手の居所をはっきり設定できていないと何をしているのか分からない。
ひとつひとつの振りを具体的に組み立ててリアリティをもたせる。
たとえば、船に乗り込む振りと揺れる振りを繋げるときには桟橋があって屋形船があって川が少し波立って…と、
無いものが在るように感じられなければ表現にはならない。
稽古場で、お師匠さんの後ろについて真似をすると、何度踊っても寸分の狂いなく三味線の間にピッと合うゆるぎ無さに、こちらも気分よく、いざ一人で立ってみると「ありゃ、出来ない」となる。
吐き気がするほど音源を聴いて聴いて、そこからもうひとつ我慢して聴きなさい、と。
確かに、そうこうしているうちに気がつけば自分のカラダの居所みたいなものが身についてくる。
キモノの着こなしでも、三味線でも「慣れる」という学習法に近道はない、と肝に銘じて精進、精進。
タマ
西川鯉三郎師の振付けは、二、三分の短い小唄振りであっても、お芝居の一場面みたいに人物がくっきり描かれている。
だから、見るのは楽しいけれど…踊るのは難しい。[西川春喜久師「春霞ひくや」]
小唄で踊るときは役の扮装をするわけではないので、
例えば、助六の踊りなら歌舞伎の型を再現できないと何の踊りだかわからない。
お稽古では、ひとつひとつの振り付けの意味を知って、正確に組み立てる。
「水差し」であれば茶筅を振る親指と人差し指の幅やお茶碗に添えた手の形ひとつで本当にも嘘にも見える。[西川春喜久師「鶴次郎」]
「鶴次郎」なら三味線の扱い、
「辰巳の左褄」では盃を持つ形と相手との距離が大事。
盃で呑む仕草が茶碗酒に見えてはいけないし、相手の居所をはっきり設定できていないと何をしているのか分からない。
ひとつひとつの振りを具体的に組み立ててリアリティをもたせる。
たとえば、船に乗り込む振りと揺れる振りを繋げるときには桟橋があって屋形船があって川が少し波立って…と、
無いものが在るように感じられなければ表現にはならない。
稽古場で、お師匠さんの後ろについて真似をすると、何度踊っても寸分の狂いなく三味線の間にピッと合うゆるぎ無さに、こちらも気分よく、いざ一人で立ってみると「ありゃ、出来ない」となる。
吐き気がするほど音源を聴いて聴いて、そこからもうひとつ我慢して聴きなさい、と。
確かに、そうこうしているうちに気がつけば自分のカラダの居所みたいなものが身についてくる。
キモノの着こなしでも、三味線でも「慣れる」という学習法に近道はない、と肝に銘じて精進、精進。
タマ